東日本大震災

佐藤 邦彦

  • 宮城歯科医療支援報告
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    5月1日の石巻市入釜谷(5班)の歯科支援について写真とともに報告します。
  • 当日は、2~6班の支援班は9時にビックバンに集合し、各班に分かれて当番地区に入りました。
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  • 1班 東松島市宮戸島 患家、室浜公民館、宮戸小学校、西武漁協
  • 2班 石巻市 河北総合センター(ビックバン)
  • 3班 飯野川第一中学校
  • 4班 飯野川小学校
  • 5班 入釜谷地区
  • 6班 鹿妻地区
    以上6班の報告書は、東京歯科保険医協会よりでますので、暫くお待ちください。
  •  私の班は、宮城保険医協会の斎先生、東京歯科協会の高山先生、東京協会の森本先生と事務局員の盛さん、歯科衛生士の森田さんと佐藤の6名で行動しました。
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  • 車は斎先生のプリウスと福岡歯科保険医協会でレンタルしたADバンの2台です。
  • 斎先生の案内で、行動しました。
  • ビックバンから北上川を河口に向かって40分くらいの石巻市入釜谷地区の生活センターに移動しました。
  • 北上川の堤防は途中より鉄板を敷設してあり、決壊部位を修復中でした。
  • 入釜谷の途中に石巻市立大川小学校があり、ここはよくTVにも出ますが、全校児童108名の約7割が死亡、行方不明となっています。
  • 小学校前の道路わきの花束とその近くにあった写真集?
  • 小学校より、入釜谷に入る道沿いです。グーグルの写真で見ると田んぼのようです。
  • 入釜谷生活センターは、到着したときは誰もいない状態でした。
  • 被災当日は、100名くらいの方が避難されていたそうです。 生活センターより山側の住宅は、倒壊した住居も無く、
  • 電気が復旧したので、自宅に戻ったということでした。水道はまだとのことでした。
  • 一見するとのどかな山村という感じで、被災の酷さにギャップを感じます。
  • センター近隣の住民の方に、声をかけて歯科支援に来たことを告げると村の有線放送で、声をかけていただきました。
  •  当日は、歯科患者さんは、7名全て義歯でした。義歯は人工歯脱落、クラスプ破折や床の破折でした。
  • 有線放送を、していただいた方に、5歳と3歳くらいの子供さんがいらしたのですが、口腔検診をしなかったのが悔やまれます。
  • 医科の患者さんは、9名でした。
  • 歯科の診療支援が来るとは思わなかったと感謝されました。
  • 生活センターの横まで津波はきていました。
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  • 生活センター前のお地蔵さん
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     前日退院した方を、森本先生と高山先生が訪問されて医療相談と義歯の修理をされたことに、感激されてお昼をご馳走になりました。
  • タラの芽、野蒜(のびる)やしいたけのてんぷら、たけのこ飯などの山菜料理を頂きました。

別府 孝洋

歯科医療の絶対的供給不足

  •  私は福岡県歯科保険医協会の一員として東京歯科協会に同行し、宮城県石巻市の医療支援活動に参加させて頂きました。

  • ■4月29日は主に移動のために費やし、夜に東京歯科協会と合流しました。
    東京歯科協会の方々は、我々との合流前に宮城県歯科医師会を訪問し、宮城県歯会長および常任理事と懇談して被災地の情報を聴取し、宮城県歯として保険医協会の医療支援活動に何を望むか等々、入念に打ち合わせをされていました。

  •  その概要は、まず被災地では歯科医療の絶対的な供給不足があることです。今避難所で生活している人々は住宅・財産を失っており、周囲の医療機関が再建してもそこまで行く交通手段と資金の余裕がありません。
    また国から仮設診療所建設の予算の計上はありますが、被災地復興の青写真ができていないため、まったく具体化できない状況にあるとのことです。
    その他、歯科ユニットの不足があり、生産が追い付かないことと、設置のためのマンパワー不足、注文しても納品は半年後という状況があるようです。
     震災から1カ月以上経過しましたが、宮城県歯科医師会としてはいまだに手探りの状況が続いているとのことです。避難所は移動・多様化し、場所・人間も流動的なため、把握しきれていない部分が多いです。
    ですから、今現場で何が起きているか、何が必要か、後に引き継ぐこと、生かすことは何か、そういったことを情報として顕在化し、報告して欲しいという要望がありました。

  • ■4月29日の夜、東京歯科協会との打ち合わせを行いました。そこではすでに2回の医療支援を行ってこられた東京歯科協会の森元副会長より、医療支援活動についてのレクチャーを頂きました。
    そこで強調されたのは、情報の収集をしっかり行うこと、積極的に被災者の中へ飛び込んでニーズをうかがうこと、地元開業の先生方へ引き継げるような医療を行うこと、そして義歯の新製は行わないことでした。
    特に義歯については、我々は震災で紛失された方のためにゼロから作る意気込みで歯科材料を多く準備してきただけに些かショックでした。しかし1日だけの診療のため、後日の義歯調整ができないことの問題は準備段階で想定しており、実際に医療支援活動をなさった先輩の意見ですから、それは納得して受容できました。
    確かに義歯は調整して完成させるものであり、調整できない義歯を作ったところで義歯性潰瘍発生装置になりかねないです。

  • ■4月30日、医療支援を行う予定の石巻市の避難所の現地視察と東松島市保健相談センター、石巻歯科医師会館を訪問しました。避難所は石巻市役所の支所である河北総合センターと飯野川小学校体育館、飯野川中学校体育館です。

  •  河北総合センター(通称ビッグバン)は大規模な多目的施設で体育館や柔剣道場、多目的ホール、図書室、会議室などがあり、270人余りが共同で避難生活を送っておられました。
    電気水道等のインフラは完全復旧し、設備が豊富で避難所としては非常に恵まれている方ですが、それでもスペースが足りずに廊下に布団を敷いて生活しておられる方もあり、その横を通らせて頂くのが本当に申し訳なく思いました。
    食事は朝はパン、夕方におにぎりが支給され、昼食は支給されず各自お菓子などで食べつないでいるとのことです。
    これはおそらく昼間は仕事や学校や行方不明者の捜索へ行き、避難所の人数が少なくなるためでしょう。
    このあと、飯野川小学校、飯野川中学校の体育館の避難所を訪問しましたが、その扉に「報道の方へ、児童へのインタビューお断り」との張り紙が印象的でした。子どもらは目の前で家族が津波に流されるという壮絶な体験をしたりしていることでしょう。それを思い出させるような不用意なインタビューはPTSDを引き起こすため、このように制限しているものと思われます。(つづく)
  • ■東京歯科協会に同行しての医療支援活動は、2日目を迎え宮城県石巻市の津波被害の著しい地域へ車を走らせました。
    そこはまさに360度が瓦礫だらけの灰色の世界でした。
    我々は簡単に「瓦礫」と称していますが、もとはその住民の財産であり、生活の舞台であったわけです。
    そして幼稚園や学校の無残な姿は涙を誘いました。

  •  石巻歯科医師会の会員で診療できているのは約半分で、残りの半分は未だに再開できていないとのことです。
    我々に応対して頂いた理事の先生は、医院水没で診療再開できておらず、もう若くない年齢で再建のために新たな借金をすべきかどうか、再建したとしてもそこに地域住民が帰ってくるかどうか、そしてそもそも地域復興のビジョンが定まっておらず、被災地域に再建してもそこが居住地として認可されるかどうかも不明なので、何も手がつけられないとため息混じりにおっしゃられていました。

  • ■5月1日、我々は6班に分かれて医療支援へ向かいました。私が受け持ったのは河北総合センターでした。
    診療スペースは被災者が生活しておられた会議室を一時的に開けていただき、そこにテーブルと椅子を並べて歯科医師3人で診療体制をつくりました。
    ひとりは東京歯科協会の稲川憲弘先生、もうひとりは地元石巻市の岩渕淳二先生です。
    これらの先生方の診療を拝見したことは非常に勉強になり、こうして他の先生と共同で医療活動を行うのは貴重な体験でした。
    また、この医療支援活動はあくまでも応急処置が主体です。この診療の後、地元の診療所へ受診していただいてエックス線検査と正確な診断の元に十分な治療を受けていただかなければなりません。
    その受診を促すのに地元の岩渕先生がおられたのは非常に心強く、また患者さんの引継ぎを円滑に行うことができました。

  •  避難所の共同生活を余儀なくされている状況を拝見させていただくなかで、私が最も懸念したのは乳幼児の口腔衛生状態です。
    共同生活での周囲への迷惑を考えて、親は子どもが泣いたり騒いだりしないように、甘やかしてしまうでしょう。
    躾として甘味制限をすることも困難ですし、そもそも厳しい躾を担当するべき親御さんが亡くなられているケースもあります。
    そして朝はパン、昼はお菓子、夕方はおにぎりという食生活も問題です。
    このように悪条件が重なっているため、1年後にはカリエスが相当増えているのではないかと懸念します。
    これに対して私は何も具体策を講じれずに医療支援を終えたのが心残りです。

  •  また、高血圧や糖尿病などの慢性疾患のある方が、この震災で常用薬を紛失し、さらにかかりつけの医療機関がなくなってしまったため、薬の服用を中断するか、あるいは他の薬への変更で不安定になっていることが少なくないと思われます。
    それに加えて避難所生活のストレス、睡眠不足、栄養の偏りなど悪条件が重なっています。
    それらの要因で、通常なら服薬で容易にコントロールされるはずの慢性疾患が、コントロールできずに不安定になり、急激に悪化することが考えられます。
    ですから応急処置のみといえども、治療前の問診と全身管理は必要十分に行うべきと思われます。
    この医療支援で私は自動血圧計とパルスオキシメーターを持参していましたが、東京協会の医科の先生が同伴していただいたため、非常に心強かったです。
    このように医科の協力が得られやすいのが保険医協会の利点であると確信しました。

  •  以上、短い期間での医療支援に過ぎませんが、非常に多くのことを学ばせて頂きました。
    そしてさらに継続的な支援を考えております。
    これは東日本の被災者の方々のためだけではなく、我々自身のためでもあります。
    九州でも同様の大規模災害が起こらないとも限りません。
    我々はどのように想定し何を準備すべきでしょうか。
    それを今後議論し具体化させるためにも、まずは東日本の復興を保険医協会の皆様と支援し続けたいと思います。

  • 被災の酷さにあ然

杉山 正隆

口の清潔 被災地でこそ
北九州の歯科医、避難所回り訴え 2012.5.10

  •  北九州市の歯科医師、杉山正隆さん(49)が、東日本大震災の被災者の治療のため、歯科医療に携わる有志とともに6日から3日間…
  • 詳しく読むLinkIcon

近畿などの歯科医師6人・医師1人などが石巻、名取で医療支援
歯科のニーズ高く、「圧倒的なマンパワー不足」「今行かずに、いつ行くのか」 2011.04.15

  • RIMG2068.JPG大水理事(右から2番目)と 杉山理事(左から3番目)
  •  大阪歯科、兵庫、和歌山、京都歯科と福岡歯科の各保険医協会に所属する歯科医師6人・医師1人など12人のグループが4月9、10の両日、宮城県石巻市、名取市の避難所で医療支援に当たった。大地震に大津波、さらに余震のストレスで極限の状態にあり、依然として圧倒的なマンパワー不足にあることが分かった。参加した歯科医師らは「亡くなったり体調を崩す人をこれ以上出さないためにも、医師・歯科医師の派遣を急ぐ必要がある」と強調する。
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  •  9日は午前5時に東京を出発し、東北道を北上。同11時に仙台市内に到着した。宮城県保険医協会で被災地の状況を聞いて、午後2時から600人が避難する石巻中学校、午後4時頃から300人がいる石巻高校に。3班に分かれ、体育館や各教室の避難者たち1人1人に声掛けし健康状態などをチェックした。
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  •  その結果、義歯を津波で流されたり、逃げる際に壊したり歯が折れたりして満足に食べられないなど、歯科に対するニーズが非常に高いことが分かった。また、多くの避難者で1週間前までは正常だったという血圧が高い数値を示し、歯肉が腫れるなど、震災から1カ月近くが経過して、健康状態が悪化した人が目立った。
  •  避難所では、炭水化物に塩分を加えた食事が中心になっており、「残さず食べないといけない」という。偏食や栄養不良がうかがわれ、中には、持病の糖尿と高血圧などで17種類の薬を飲んでいたが、震災後は中断しがちで、偏食やストレスから血圧が200を超え、起き上がることも難しくなった女性も。体を適度に動かすことや食事指導をし、早急に専門医を受診するよう強く勧め、同行した市の保健師にもその旨伝えた。
  •  翌10日は朝から400人余の名取市文化会館に。「掛かりつけの歯科医院が倒壊したため困っている」「支給された歯ブラシが硬すぎて歯肉から出血する」「子ども用の歯ブラシはありませんか」などの声が多く寄せられた。
  •  「入れ歯が少し歯肉に当たって痛い」との男性の要望に、義歯を研磨するなどした。「歯肉からの出血がひどくなった」男性には歯科衛生士が歯間ブラシなどを用いて歯肉マッサージ。「これでようやく安心して食べられる」と笑顔が戻った。
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  •  避難所は1000カ所をゆうに超え、状況は異なるが、プライバシーもなくストレスは想像以上に大きい。また、自宅で1人で生活している高齢者も少なくない。医療、歯科医療を十分に受けられず、被害はさらに拡がる様相だ。参加した中津正二医師(脳神経外科)は「今行かないで、いつ行くのか。被災していない地域の医師、歯科医師の出番だ」と話す。(保団連理事、杉山正隆)

「岩手田老地区からの報告」 杉山正隆 2011.4.11

  • (※写真をクリックすると大きくなります)
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  •  旧・宮古市に田老町、新里村、川井村の旧4市町村が合併してできた宮古市は人口約58000人。東日本大震災での死者は4月5日現在384人、行方不明者1301人にのぼる。
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  • 42か所に3623人が避難。4675戸が全・半壊するなど6934戸が被害を受けた。人口約4000人の田老町では135人の死亡が確認され、行方不明者は数百人にもなる。
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    総延長2.5キロに及ぶ高さ10メートルの防潮堤を大津波が乗り越え、町の中心部を飲み込み、国保診療所(医科)は全壊。1軒だけあった歯科診療所は津波で流された。
  • <現地動画>

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     今回(4月3、4日)の支援には、 青森、岩手、福岡各県の歯科医師17人、歯科衛生士4人、歯科技工士3人などの28人が参加。歯科医院の備品を持ち寄ったほか、歯科医師会等から機材の貸し出しを受けた。
  •  事前に3回、現地で聞き取り調査などをした結果、歯科治療に関し、「ほぼ手付かず」の状態だと分かった。「津波で義歯が流された人が多く、一律に支給されるおにぎり、たくあんは噛めない。下痢や便秘の患者が増えており一刻も早く食べられるよう、歯科医療を提供してほしい」と医師から強い要請を受けた。
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    このため、取り急ぎ食べられるようにすることを主眼に置く「第一段階」と位置付け、より良い治療を実現するため歯科技工士が同行した。
  •  臨時避難所の「グリーンピア三陸みやこ」には約700人が避難し、多くの被災者が屋内多目的コートに入る。事前に医療団が来ることを張り紙などで知らせ、当日も「歯や口の中などに痛みや違和感があったら気軽に立ち寄ってください」と放送などで周知した。
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     午前9時頃から午後3時頃まで「義歯や歯の健康相談」を実施。カルテに主訴や口腔状況を記載し、義歯修理・調整などの治療や、抗生剤、鎮痛剤等の投薬により、治療が一応完了できる人には「治療コーナー」に誘導。義歯やクラウン・ブリッジの新製など、数日以上掛かる人は後日、地元の歯科医院で治療体制を再構築することを伝えた。
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     休憩所に特設した「治療コーナー」に、通常の椅子を利用した特設治療台8台を設置。卓球台を利用した歯科技工台を活用し、義歯修理を中心に、後日痛みが出ないように入念に調整しながら治療を完了させた。開始当初は治療希望者が殺到したが、その後は多くの職種の連携でスムーズに進んだ。
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     治療を受けたお年寄りの1人は「昼ご飯を食べ終わり義歯をはずして洗浄剤につけていた。津波と聞き、エプロンのポケットに入れて慌てて走って逃げた。途中で歯が壊れてしまったことに気付いたが、3週間、治療してもらえず満足に食べられなかった。ずいぶんやせて苦しかったが義歯をピカピカに修理してもらい、ダイヤモンドよりきれいで嬉しいです」と涙ぐみ、何度も「ありがとうございます」と言って何度も頭を下げた。
  •  事前調査で、120人中40人が歯や口の悩みを訴えた。義歯流出が22人、義歯が合わない10人、歯周病4人、ムシ歯など4人。青森県保険医協会の成田博之副会長は「20万人ともいわれる避難者数から少なく見積もっても数万人に早急な歯科治療が必要」と危機感を強める。
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     東日本大震災の被災地は極めて広範囲に及ぶ。被災者らが満足のいく医療、歯科医療を長期に受けられない懸念が高まっている。大切な家族や友人、自宅や会社を失うなど計り知れない災難に遭った被災者らを支援すべく、多くの医師、歯科医師、医療従事者が立ち上がり始めた。支援の輪をさらに拡げ、治療やケアの実行段階に移す体制を早急に構築すべきだ。(杉山正隆)

中尾 友美

  • 宮城、歯科医療支援の報告
  • 筑後市・中尾友美
  •  東京歯科協会の中川会長はじめ各先生・事務局員、“お友達”として参加の東京医科協会の各先生・事務局員の皆さん、参加させて頂き感謝しております。

  •  今回参加した福岡歯科協会4名は、4月28日の理事会から5月2日の帰福まで約5日間毎日行動を共にしました。

  • 今回の支援行動は、臨機応変にその場その場で色々と話し合って、解決を図る、つまり「走りながら考える」ことが出来たのが、無事帰福につながった最大の要因だったと思います。色々とハプニングはあったにせよ、です。

  • 出発前の打合せ会議では、4月前半の大阪歯科協会の支援に同行された理事の先生達から託された、狂おしいほどの思いを請けて次の様な状態でした。

  • 東北へ医療支援に行くんダ!!
  • ライセンス(歯科医師免許)を生かして支援するんダ!!
  • 義歯を失くされた被災者の義歯を作るんダ!
  • Max振切り状態!!
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  • さて、博多からの移動距離約1,300キロ、約6時間で仙台に到着。思っていたより近い距離に感じました。
  • 距離の問題を支援に行けない理由の一つに、当初挙げていた自分たちを恥じました。

  • 私は、支援先として石巻市立飯野川中学校に伺いました。
  • ピーク時は、体育館に250名以上の方が着の身着のままで避難されていたと聞きました。50日経った現在でも150名の方がまだ避難所生活を余儀なくされています。

  • 歯科のニーズを伺いながら、口腔内検診を行なっていくと、思っていたよりも口腔内は清潔に保たれていました。
  • ニーズの多くは、義歯の破損修理・調整に集約されます。

  •  私は医師ではなく「歯科医師」ですと、胸と背に表示していたにもかかわらず、内科的な相談が数多くあったのには驚きました。
  • ただし、今回の支援活動は、歯科協会単独では無く医科協会の先生が『お友達』として同行して頂いたので、そんな内科的対応をする際も心強かったです。
  • この事は大変意義のあることだと思いました。

  • 是非、今後は医科・歯科合同での医療支援が望ましいと思います。
  • 政府がいう仮設診療所も勿論、医科・歯科合同の施設でなければなりません。
  • 歯科医師としての目で見ると、地域柄でしょうか、皆さん我慢強い様に感じました。
  • 避難所も一つのコミュニティ。

  • 皆同じように被災したので、仲間内では色々喋りたくても喋れない、喋ったらいけないんだというストレス。どことなく表情が硬くなるのも無理ありません。それでも、義歯の調整をしながら世間話をしていると、調整が終わる頃にはこれが同一人物かと思うほどの、超素敵な笑顔がそこにはありました。

  • 一時的な笑顔かも知れません。でも継続的に話の聞き役が居れば、笑顔も継続するようになるかもしれません。

  • 今後の支援の一つに『愚痴聞き隊!!』も必要では?
  • 避難所で肌で感じた事です。被災地に自ら足を運んだからこそ分かったことです。
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吉次 弘志

「やればできる」支援の本気度

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久留米市 吉次弘志

  •  東日本大震災が発生してから50日が過ぎた4月30日、5月1日、東京歯科協会・東京協会との連携の元で、宮城県での歯科医療支援に参加しました。
    当協会からは第3次派遣に相当し、メンバーは4名全て筑後支部の会員でした。派遣に至るまでを含め、報告いたします。

  • ■「被災地へ行きたい」の本気度
  •  震災直後より、野次馬根性から「何でもいいから理由をつけて、とにかく行ってみたい」との思いだけはありました。
    本気で思い始めたのは震災発生から1週間後の飲み会の席上です。
    「歯科医療支援にぜひ行ってみたいよね」、しかも「『そのうち』とか『いつか』じゃなくて、皆がおそらく行こうと考えるであろうGWより前の時期に」という話が自然と出てきて、酒の肴になっていました。

  •  しかも、酒を酌み交わすその横で、岡崎事務局長が携帯電話での交渉で、「歯ブラシ12万本を被災地へ」が電光石火の早業で実現することが決定しました。事務局がそこまでやっているのに、歯科医師である私たちの腰が退けていてはどうにもなりません。
    この時点で、中尾先生とは「話があれば行く覚悟はしておきましょう。そのためになら、都合をつけます」とお互い腹をくくりました。

  • ■できない理由を考えるのに汲々とするな
  •  私以外の3名はそれぞれ障がい者医療・歯科麻酔・訪問歯科等の経験が豊富な方々ですが、私にそんな「売り」はなく、こんな状況で本当に行っていいのだろうか?仕事になるだろうか?と正直思いました。

  •  ただ、基本は「臨機応変に対応し、後は現地で考えよう」でした。過去に派遣された先生方からは、「できない」のではなく、「やらない(と先に決めている)」から結果的には何時までたってもできないだけ」との報告がありましたので、逆に「(最初から)やる」と決めていくことにしました。

  • ■自分には何ができて、どうずれば可能かを考えよ
  •  そこまで覚悟した上でも、なおできない事が出てきたら、一緒に行くメンバーに現地で頼むことにしました。
    できることはできるし、できないことはできません。そう思うと気が楽になりました。

  • ■これからの糧に
  •  被災地を実際に訪ね歩き、現地の方々とお話しをする中で、継続的な支援が必要なごとを切実に感じました。

  •  私たちのすぐ後にも、第4次派遣までは何とか行ないましたが、その後、派遣はストップしています。
    派遣して頂けたことの幸運を今あらためて噛みしめるとともに、準備に奔走していただいた関係者の皆様のご尽力に心より感謝し、私たちの協会からの働きかけが被災地の今後の復興・復旧、および当協会の活動の一助になることを切望してやみません。


東日本大震災の各協会の状況など

・東日本大震災 救援FAXニュース(全国保険医団体連合会)

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