第33回定期総会ご案内
5月22日盛況のうち終了しました。ありがとうございました。
市民公開記念講演
つまずいても生きていける国へ
~憲法25条を活かし、本格的福祉国家の道へ~
NPO法人自立サポートセンターもやい事務局長
湯浅 誠 氏
お金がなければアウト、非正規だったら負け組、恋人が出来なければ人間失格、マイホームがなければ甲斐性なし、病気をすれば自己管理が不十分、老後の貯蓄がなければ人生のツケ。国が企業を守り、企業が男性正社員を守り、男性正社員が妻子を守る。そのルート以外の守られ方は、自堕落・怠惰・甘え・努力不足・負け犬……。いい加減にしてほしい。この、「いい加減にしてほしい」に形を与えること、それが活動家の仕事だ。(著書『岩盤を穿つ』より)
第32回定期総会
2009年5月23日(土) 福岡市内会場にて、今年で第32回目の福岡県歯科保険医協会の定期総会が開催され、09年度活動方針など、今年度に向けた様々な取り組み名などが承認されました。

「御 礼」
去る2009年5月23日(土)に開催致しました、当協会第32回定期総会に際しまして、各界よりご臨席・祝電・メッセージを賜り厚く御礼申し上げます。
皆様のご厚情により、総会並びに記念行事をとどこおりなく無事終了することができました。
総会では、県民の歯科医療要求と会員の多様な要望や相談に応えられるよう、今後さらに活動を強め、毎年社会保障費二千二百億円の削減にストップをかけ、診療報酬改善を目指して医療崩壊を防ぐことで国民の医療の充実、引いては国民の生活と健康を守っていく活動方針、総会決議を採択しました。
本年も、歯科医療の向上と、国民と保険医の生活と権利を守ると共に、「ふくおか子どもの医療を守る会」や「福岡県社会保障推進協議会」「患者の権利オンブズマン」などの県民各層と協力し、地域の医療を担う団体として積極的に活動していく所存です。
今後とも、皆様のご指導・ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。
2009年5月26日
福岡県歯科保険医協会
山口 美智子さん記念講演
記念講演(市民公開講演)では、肝炎訴訟全国団の山口 美智子さんを向かえ、これまでの肝炎にかかって以降、家族を巻き込んだ裁判での「勝訴」を勝ち取るまでの壮絶なたたかいをご家族との「声」も交えご講演いただきました。なお、西日本新聞など数社が取材。報道いただいています。
西日本新聞20090528朝刊「都市圏版」
薬害肝炎原告団代表
山口美智子さん福岡市で講演会
薬害肝炎訴訟の全国原告団代表を務める福岡市の山口美智子さんが23日、同市中央区のホテルで「命の尊厳とは-薬害根絶へ続くたたかい」と題して講演した。
山口さんは次男の出産時に投与された血液製剤が原因で感染。講演では、入院治療のため子どもたちとの時間が取れず、やむなく小学校教諭も辞めたことを振り返り「母親としても教師としても思いの半分も実現できなかった」と無念さをにじませた。「不正に対して正面から向っていこう」と、薬害肝炎訴訟の原告として初めて実名を公表した思いも告白した。
現在、薬害肝炎だけでなく、すべての肝炎患者のための「肝炎対策基本法」の制定に向けて活動中。「薬害肝炎は終わっていない。次の世代が薬害の被害者にも加害者にもならないために、救済、再発防止に向け闘っていきたい」と話した。
薬害根絶へ続くたたかい
「私たちは闘いぬく」と…
恒久対策など患者支援法成立へ新たな活動
2009年5月23日、第32回定期総会に先立って薬害肝炎訴訟全国原告団代表・山口美智子さんに「命の尊厳とは〜薬害根絶へ続くたたかい」という演題でご講凝いただきました。
山口さんは九州訴訟原告番号1番。1987年次男出産時血液製剤(フィブリノゲン)を投与され肝炎を発症。2001年インターフェロン治療による副作用の為21年間務めた小学校を退職。2003年4月全国初の実名原告となり提訴し2006年全国原告団代表に。昨年一月「薬害肝炎救済法」が制定され、訴訟解決に向けた一定の道筋がついた。新たな組織で全国原告団を発足させ、代表に再任。
-山口さんからのメッセージ-
サリドマイド事件以来、スモン、HIV、ヤコブなど、薬害が繰り返されてきた事実を知るにつけ、薬害を根絶する最後の審判と位置付け闘ってきた。なぜこのような薬害事件が発生したのか、なぜこれほどまでに被害が拡大したのか「真相究明」なくして「再発防止」はありえない。薬害肝炎が放置された経緯や、どの時点でどのようなことをしていれば、薬害を防止できたのかを検証されなければならないのである。
21世紀を生きる子どもたちを薬害の被害者にも加害者にもするわけにはいかないのである。人間としての尊厳をかけて、私たちは闘いぬく。
-感染から裁判へ自らの体験を報告-
1987年次男の出産時に止血剤と輸血の処置を受けた山口さんは退院も束の間、肝炎との診断を受けて内科に6ヶ月間入院。2年後の肝生検で慢性肝炎と診断された。その後月一回の検査を続け2000年の2回目の肝生検で肝硬変の直前だと診断されて2年間のインターフェロン治療を受けるが副作用がひどく教師生活に終止符を打った。2003年にそれまで肝炎になったのは運命だと思っていたことが薬害という人災だと判明し薬害肝炎の裁判の実名原告となった。
実名原告となったのは肝炎への偏見と国を訴える(お上にたてをつく)ことへの偏見を無くし不正に正面から闘っていこうという信念からであった。2008年1月国と和解し「薬害肝炎救済法」が制定されたが製薬企業との基本合意は1年近くを要し12月14日合意調印、裁判闘争が終結した。しかし350万人の肝炎被害者全員が安心して治療を受けることができるよう「真相究明・再発防止」、「被害者救済」、「恒久対策」のための患者支援法成立を求めて新たな活動を始めている。
講演が終了し麻生太郎首相、河村建夫官房長冒、与謝野馨財務・金融・経済財政相と15人の有識者からなる「安心社会実現会議」の委員となられた感想をお聞きしました。山口さんは「母親、主婦として、また患者として発言していきます」と心強いお言葉を頂きました。(玉里昭雄 記)

